織田信長は冷酷だけの人物ではない!夫婦中を修復させた男

歴史

今日は大好きな戦国時代について書こうと思います。

大好きですけどマニアには及ばない、おじの七光りことケンゾー(@ojinonanahikari)です。

そんな戦国時代の教科書で習った内容とは違い、従来の通説ではない真実を書こうと思います。
参考にした書籍は、戦国時代通説のウソ(株式会社彩図社)↓↓

誰にスポットを当たるか悩みましたが、やはり戦国時代にはかかせない三傑の一人
“織田信長”に決定します。

ざっくり織田信長を紹介。
1534年6月23日 尾張(今の愛知県)に生まれました。尾張守護代の下四郡を治めていた清州織田氏の中の三奉行の弾正忠家の息子。
尾張守護(斯波氏)→守護代(清州織田氏・岩倉織田氏)→清州三奉行(弾正忠家・因幡守家・藤左衛門家)
地位でいえば、そんなに高くない所からのスタート。
天下統一まであと少しの所まで駆け抜けた人物です。
当主となってから尾張を治めるため親戚と戦いまくり尾張一国を統一する。
そして桶狭間の戦いで今川家をぶっ倒し、家康と同盟を結んだり、比叡山を焼き払い、足利義明を追放し室町幕府を終わらせる。
近隣ライバル武将の朝倉氏、浅井氏、武田氏を倒し、さあ中国地方の毛利氏を攻めている時に謀反をくらう。
有名な明智光秀による本能寺の変で生涯を終える。1582年 享年49歳。

七光り
七光り

そんな織田信長という人物をどうイメージしますか?

同僚
同僚

第六天魔王と呼ばれるぐらい冷酷非道な人物かな。

後、合理的で抜け目なく隙が無い感じ。とか鉄砲のイメージが強いな。

同僚
同僚

私は、血も涙もない人物。でも成果を挙げた武将には褒美をたくさんあげて、数ある猛勇な武将をまとめあげ天下布武を掲げて後一歩の所までいった人物。

いろいろな人物像があると思います。

織田信長は裏切られることも多かったが、実は意外と許している時もあるんです。
では、説明していきましょう。

真実

戦国時代の中で織田信長ほど裏切りを受けた武将はいない。
意外と悲しい人なのです。
裏切った相手でも実力がある人物だと処罰を軽くしたり、失敗しても許すことができる人物だった。
後、意外な行動も・・・
人間味を感じることができる一面もあった。

証拠

さてさて早速証拠をあげたいと思います。
これを読んで織田信長のイメージが変わるかも、、、しれない。

弟や家臣の謀反を赦免

信長は家督を継いだ当時大うつけと噂されるほど評判が良くなかった。
なんせ父親の葬式で灰を父親に向かってぶちまげたぐらいですから、大うつけと言われても仕方がない。
想像して下さい。そんなことを兄弟がしている姿を・・・
そりゃそんな評判になりますよね。
大うつけと言うかその時点で縁すら切りたくなります!

そのため織田家筆頭家老の林秀貞は弟の信行(信勝)を当主になるように考えて謀反を起こしたんです。
それに賛同したのが、織田家のツッコミ隊長こと柴田勝家。信行も当主になる気マンマンだったし。
しかし、謀反は失敗に終わる。
最終、信長の母の取りなしによって皆赦免している。
赦免=罪や過失を許すこと

そりゃ弟と家臣もクレイジー信長について行くことは恐怖でしかなかったでしょう。
なんせ葬式でしたらいけないことをするんだから。
謀反はされるて当たり前。
でも裏切りを許す信長ってスゲー。

一度ならず二度謀反を起こした松永久秀。しかしある物と引き換えに許されかけた。

二度目の裏切りは石山本願寺攻めの最中。本願寺に呼応して謀反。(諸説あり)
信長も驚いて使者を出すが拒否されている。
さすがに怒って嫡男の信忠を総大将に大軍を差し向けたが、久秀の持つ名器「平蜘蛛茶釜」と引き換えに許すと譲歩している。
しかし、その話には乗らず「平蜘蛛茶釜」を破壊して城に火を放ち自害している。

ここでも以外と許す姿勢で接している。
多くの方が持つ裏切りは許さない姿勢はどこへやら。
久秀をかっていたと思うかもしれないが、2度目の裏切りをしているのに茶釜で許すとか(笑)
むちゃむちゃ腹が立っていたと思うけど、相当な勢いで信長はほしかったんだろな。コレクション癖全開。その当時有名な茶釜や茶器は一国並みの価値があるものも存在したらしい!

信長お気に入りの家臣:荒木村重の謀反。冷静な対応。

荒木村重は元々信長の部下ではなかったが、気に入られて摂津一国を任されたくらいの人物。
単純に信長についていけなくなったとか、その当時信長が攻めていた本願寺に村重が仲が良かったこともあり本願寺側に味方したとか。食料を送ったいたことがバレたとか。
いろいろと諸説あるが結果的に謀反を起こした。
その時「尼崎城と花隅城を明け渡せば家族と家臣の命は助ける」という提案もでるが、従わずに家族や家臣は処罰される。
本人はその後逃げて信長よりも長く生きて茶人となる。

この話の面白いところは、考え直せば謀反を起こした相手の家族と家臣を助けると言うもの。
信長の血も涙もないイメージの持ち主らしくない発言だからこそ、その提案に逆になぜかしっくりこないくらい。
裏切ったら速攻で潰しにかかり、その親族や一族を抹殺しそうな感じなのに。
謀反が起きた時、信長自身も周りとの戦いを考慮しての判断だったかもしれないが、助ける選択もあることにビックリ。

番外編

いきなりですが、秀吉が女好きだったのは知っていますか?
なんせ女好きだけあって浮気をしまくる。
側室OKの時代だから現代ではその時点で浮気ですが(笑)
なんせマンガにせよ書籍にせよ、秀吉は女好きでいつも書かれています。
それが元で正室のおねが怒っているのを信長が諫めたエピソードがあります。

「この前久しぶり会ったがあなたはいっそう美しいが増している。藤吉郎(秀吉)があなたに対して色々と不満を言っているようだが言語道断である。あのハゲネズミ(秀吉のあだ名)があなたほどの良き女を他に得られるはずはないのだから、あなたも奥方らしく堂々として、嫉妬などしないように。この書状は秀吉にも見せてやりなさい」
引用元:Wikipedia

信長から秀吉の正室おねに宛てた書状です。

えっっっーーーー
信長が夫婦の仲裁!!!!!!!!!!

普通にいい上司って感じなんですよ。
この話が一番信長のイメージとかけ離れすぎていて私自身も好きなんです。
すごく人間味がでていてサイコー。

検証

①〜③のように冷酷で裏切りを絶対許さないって感じではないのです。
結果的に明智光秀の裏切りによって本能寺ので命を落としたが、許すときは許している。

これを見て人物像として裏切りは許さない感情も見えるがすべて許さないというわけでなく、有能な人間にはチャンスを与えられる合理的な人物。

比叡山の焼き討ちで女子供、僧を虐殺しているのとはまた違う一面です。(これは僧侶が武装して本来の仏教の道から外れ敵対の兵士を庇ったりしたことも理由の一つ。僧侶が武装しているので、僧ではなく武装した武士と見なしている。それで起こった出来事。)でも女子供はひどいですよね。そのイメージがあるから信長は怖いとか恐怖のイメージがついている。

著書にも書いてあるが人を信用しすぎたとある。
確かに最初の領地は小さく、拡大する内に人手不足となり、有能な人物が必要になってきたこともある。
だから実了主義で、才能がある秀吉が出世できた。優秀な人もいればもちろん信長に付いていけずに謀反を起こす人間もいる。
その中で人材の使い方で悩んでいる信長を想像することもできる。

会社でも謀反じゃないが、反旗を翻す人間もいる。
その人物を許し、時には厳しく罰することもある。
そう考えると普通の人間の苦悩も経験しているし、かけ離れた存在からいち人間なんだと思える。

なんたって秀吉とねねの夫婦の仲裁に信長自身が入る!!
普通にええ人やん。

どうですか?
信長の人物像変わりましたか??

「是非に及ばす」

via PressSync

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